『夜と霧』

マインド

先日のメルマガでは、
「至上の幸福」という
テーマでお伝えしました。

今回は、視点を変えて、
もしあなたが
絶望的な状態にいたら
生きる意味をどう考えるのか
について取り上げたいと思います。

参考になるのは、
『夜と霧』という本です。

アウシュビッツ収容所から
奇跡的な生還を果たした
ユダヤ人の精神科医
ヴィクトール・フランクルが
書いた本です。

彼は、過酷な環境の中、
囚人たちが何に絶望したか、
何に希望を見い出したかを
克明に記しています。

収容所の描写は、
見るに堪えないものですが、
そんな絶望的な状況の中でも
冷静な視点を持ったことに
驚かされます。

収容所の中では、
囚人たちは極度の飢え、
栄養失調、病気、
最悪な衛生状態にありました。

彼の観察によれば、
1944年のクリスマスと
1945年の新年の間に
収容所で未だかつてなかった程の
大量の方が亡くなってしまったそうです。

しかし、そのときに、
過酷な労働が課せられたとか、
栄養状態が急激に悪化したとか、
伝染疾患があったということは
なかったそうです。

では、その原因は何だったと思いますか?

それは、囚人の多数がクリスマスには
家に帰れるだろうという希望を
抱いていたからだそうです。

そしてそれが現実にならなかったときに、
失望や落胆が囚人の抵抗力や免疫力を
無くしてしまったからだと述べています。

人間の心と体がいかに
緊密な関係があるかを思い知らされます。

彼が励ましても、
「私はもはや人生から期待すべき
何ものも持っていないのだ」
と言う囚人に対し、
どう答えればよいか考えている記述を
紹介しましょう。

「ここで必要なのは、
生命の意味についての
問いの観点変更なのである。

すなわち人生から何をわれわれは
期待できるかが問題なのではなくて、
むしろ人生が何をわれわれから
期待しているかが問題なのである。

そのことをわれわれは学ばねばならず、
また絶望している人間に
教えなければならないのである。

哲学的に誇張して言えば、
ここではコペルニクス的転回が
問題なのであると云えよう。

すなわちわれわれが人生の意味を
問うのではなくて、
われわれ自身が問われた者として
体験されるのである。

人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、
われわれはその問いに、
詮索や口先だけでなくて、
正しい行為によって
応答しなければならないのである。

人生というのは結局、
人生の意味の問題に正しく答えること、
人生が各人に課する使命を果たすこと、
日々の務めを行うことに対する責任を
担うことに他ならないのである。」

あなたはどうお感じになられましたか?

最後までお読みいただき
ありがとうございます。

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