羨ましかったら何かやってみる

マインド

最近『ドライブ・マイ・カー』
という映画を見ました。

ゴールデングローブ賞をとり
アカデミー賞にもノミネートしている
作品で、私の好きな村上春樹さん原作と
くれば見ない理由はないと思い(笑)

しかし、正直物足りなかった。。。
という感想です。納得がいかないので
これから原作を読んでみます。

さて、今日のお題は、
ユング心理学者である河合隼雄さんの
『こころの処方箋』に書かれている
一節です。

最近は、他人のことを羨ましいと
思うことは少なくなりましたが、
20代、30代のころは、
他人を羨ましいとよく思っていました。

そんな自分を恥じていたし、
情けないとも思っていました。

それとどう折り合いをつけたら
よいのかわかりませんでした。

河合さんの本を読んだとき、
自分で引っかかっていたことが
氷解した気がします。

彼は
「羨ましい気持ちが起こったら、
それは自然に生じたことだから、
よしあしを言う前にそれはそれと
認めることにしよう。

そして、いったいそれが
どのあたりから来ているか、
考えてみることにしてはどうだろう。
あんがいなことが見つかるものである。」
と言います。

羨ましいという感情は、
自分の持っていないものを
他人が持っているときに
必ず生じるとは限りませんよね。

例えば、知人に数学のできる人が
いても羨ましく思わない
という場合もあるわけです。

そうすると、
他人が自分の持っていないものを
持っているという事実に
プラスされるXがないと
生じないといえます。

では、そのXは何だと思いますか?

河合氏は、カウンセリングの中で、
そのXの正体を探すと、
その人の心のなかの
何らかの未開発の可能性を
見出すといいます。

私たちは、なるべくなら難しいことや
苦しいことは避けたいと思っています。
本当は、やらねばならないことや
やれることはたくさんあります。

羨ましいと思うのは、
相手が、自分では手つかずの領域を
やり抜いて成果を出しているから
気になるのではないでしょうか。

河合氏は、
「「羨ましい」という感情は
どの「方向」に自分にとっての
可能性が向かっているかという
一種の方向指示盤として
役割を持って出現してきている」
といいます。

羨ましいと思ったときは
自分の中にまだ注目されずに
棄てられているものがあると思って、
探してみたり、試してみる価値は
十分あるのではないでしょうか。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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