5回目になりましたが、
引き続き、臨床心理学者
カール・ロジャーズ博士の
「私が学んできた大切な教訓」
を見ていきたいと思います。
(「 」で括った箇所は、
引用になります)
(教訓その6)
「他者による評価は私の指針にはならない」
キタ――(゚∀゚)――!!
言い切るところがカッコいいですね。
「他の人の判断は耳を傾け、
考慮するに値するものですが、
決して私の指針にはなりません。
これを学ぶのは難しいことでした。
若いころ、
自分よりもずっと有能で、博識に見え、
学者らしい思慮深さのある心理学者に、
心理療法に興味を持つことなんて
大間違いだと言われたとき、
どんなに心が揺さぶられたかを、
思い出します。
心理療法の先行きはあやしく、
私には心理学者として
それを実践する機会すらなかったのです。」
彼は、心理療法を志そうとしたときに
尊敬していた心理学者に「やめろ」と
言われたのですね。
もし、彼がそれを鵜呑みにしていたら、
彼が心理学で活躍して功績を残すことは
なかったでしょう。
「後になって、ある人たちが私を詐欺師、
無免許で医療行為を行っている人物、
浅薄で有害な心理療法の権威、
権力欲のかたまり、神秘主義者などと
みなしていることを知ったとき、
少し動揺を覚えたこともありました。
また、極端な賛辞にも、
同じくらい狼狽しました。
しかし、
そんなに思いつめはしませんでした。
なぜなら、
私の行動が正直で徹底していて、
オープンで健全なものか、
あるいは偽物で防衛的で
不健全なものかを知っているのは、
(少なくとも私が生きている間は、
いや、多分永遠に)
一人だけであり、
また自分こそその一人であると
感じるようになっていたからです。」
あなたの活動が
広がれば広がるほど、
それに賛同する人が増える一方、
批判も避けることはできないでしょう。
私自身について言えば、
あまり活動を広げていないのは、
批判をされたくないという
本能がそうさせているかもしれません。
彼の言うように、
本当に自分を知っているのは、
自分しかいないということを
信じたらどうなるでしょうか。
他人の評価は、
あなたの一部を語っていたとしても
あなた全体の評価ではないわけです。
「私はよろこんで、
自分がしていることについて
あらゆる類のエビデンスを
得たいと思っています。
そして、
批判(友好的なものも敵意を含んだものも)や
賞賛(本心からのものもへつったものも)も
そうしたエビデンスの一部となります。
しかし、このエビデンスの重みを測り、
その意味と有効性を決めるのは、
他の人に明けわたすことのできない
私の課題なのです。」
彼は、他人の評価を
最初から無視しろとは
言っていません。
むしろ、エビデンスとして
受け容れたうえで、
それを評価し、
取り入れるべきものは
取り入れろと言っているのでは
ないでしょうか。
その評価について
責任を持つのは
他でもない自分自身です。
他人の評価ばかりを気にして
方向を変えていては、
自分の行きたいところには
着かないでしょう。
その意味で、今日の教訓は
生きたい人生を歩むための教訓
といえるのではないでしょうか。
最後までお読みいただき
ありがとうございます。