前回に引き続き、
アメリカの臨床心理学者
カール・ロジャーズ博士の
「私が学んできた大切な教訓」
を見ていきたいと思います。
(「 」で括った箇所は、
引用になります)
(教訓その5)
「私は自分の体験を
信じることができる」
今回のは短いですね。
これはどう意味でしょうか?
自分の体験を信じるかといえば、
みんなイエスといいますよね。
でも、常識とされている理論や
権威的な考えよりも
自分の体験を信じられるかというと
また別の話だと思います。
彼は言います。
「私は自分の知性よりも、
ある状況について自分の生命体全体で
感じることのほうがより信頼に値する、
ということを学んだのです。」
「私の職業生活全体において、
私は他の人にばかげていると思われ、
自分でも多くの疑問を満つような方向へと
進んでいきました。
しかし、たとえそのときはしばしば、
自分は孤独であるとか、
ばかげていると感じるときがあっても
「正しいと感じられる」方向に
進んできたことを
決して後悔していません。」
(その1)でも書いたように、
彼の提唱した療法は、
当時の臨床心理学界では
非常識なものでした。
その新しい道のりでは
彼自身孤独や疑問を持ちながらも
歩んできたことを語ります。
「自分の内側の
非知性的な感じる力(sensing)を
信頼することができるならば、
智恵が働き始めるのです。
実際それが正しいとか、
本当だと感じられたからこそ、
私は慣習にとらわれない道を
進んできたのです。」
知性よりも
感覚とか直観を信頼することで
智恵が働くということですね。
そして、
「次第に自分の全体的な反応を
より深く信頼できるようになるにつれ、
私はそれを自分の思考を導くために
用いることができるようになりました。
私の中にその時に生じてくる、
重要な意味を持つかのように感じられる
あいまいな考えをいっそう大切に
できるようになってきたのです。」
ここは興味深いです。
智恵を働かせることによって
それを思考(理論)を導くことに
使えるようになったといいます。
我々はあいまいな考えが
浮かんできたとしても
それは「理屈にあっていない」とか
「本に書かれたいたことと違う」と
いって否定してしまうことが多いと
思います。
彼は、それを大切にできるように
なったといいます。
ここは大きな違いだと思います。
「こうした不明確な考えや
勘が重要な領域に
自分を導いてくれるのだと
私は考えるようになってきています。
それは自分の体験の全体を
信じることであって、
知性よりも賢明なものではないかと
考えるようになったのです。」
“あるがままの自分”の声を聴き、
その声に従って歩んだ結果、
体験した全体を信頼することで
彼の偉大な功績が生まれたと
ということですね。
何を信じればいいのか
分からなくなったときに
参考になる教訓だと思います。
最後までお読みいただき
ありがとうございます。