この世界をどうみるか?(哲学の話)

マインド

今回は、
読者からのリクエストに応え、
この世界をどう見るかについて
哲学的な視点から書きたいと思います。

ものの見方について
構築主義という考えがあります。

イマヌエル・カントは、
それ自体として
存在しているような世界は、
わたしたちには認識できない、
と主張しました。

わたしたちが何を認識するのであれ、
およそ認識されるものは何らかの仕方で
人間の作為を加えられているほかない、
というわけです。

例えば、すべての人間が裸眼でなく、
緑色のメガネをかけているとしたら、
人間は自身の見ている対象それ自体が
緑色であると判断するしかないでしょう。

自信の眼が事物を
存在しているとおりの姿で
見せてくれているのか、

それとも、
事物それ自体ではなく
自身の眼に由来するものを
当の事物に付け加えてはいないか、
どちらかわからなくなるでしょう。

また、
わたしたちが真理と呼ぶものが
本当に真理なのか、

それともわたしたちに
そう見えているにすぎないのか。
どちらなのかは決めることが
できないということです。

「この世は仮想現実である」
という考えも、
構造主義に近いのかもしれませんね。

これに対して新しい考え方
(新しい実在論)を展開しているのが、
ドイツの哲学者である
マルクス・ガブリエルです。

例えば、富士山があります。
これを複数人の人が見る視点
によって分けると

・東京にいるAさん
から見られている富士山

・飛行機に乗っているBさん
から見られている富士山

・新幹線に乗っているCさん
から見られている富士山

があるとします。

富士山は、
静岡県と山梨県にまたがる
日本で一番標高が高い火山
という事実があります。
しかし、
これだけが真実ではありません。

A、B、Cそれぞれから見える様子や
風景はまったく違いますが、
それぞれは事実と言えます。

それぞれが
見ているときに感じる感覚も、
それぞれ存在しているといえます。

このように、彼は、
この世界を無数の事実や意味が
存在する場所と考えています。

彼は言います。
すべてのものを包摂するようなものは
存在しない、と。

それは、存在するいっさいのものが、
無限に数多くの意味を持っており、
1つの在り方しかしていないものはない。
無限に数多くの在り方でしか、
何ものも存在しないことです。

この見方は、
ありがたい見方ですよね。

なぜなら、
あなたが認識している
(と信じている)事実も、
別の事実があるかもしれないからです。

もしそれに絶望していても、
別の事実や意味を探しだすことも
できるかもしれません。

いかがでしょうか?

彼の考えを参考にすると、
わたしたちの見ている世界を
もっと先入観なく、
もっと創造的に創ることが
できるのではないかという
希望も湧きますよね。

今回、参考にした本は、
『なぜ世界は存在しないのか』
マルクス・ガブリエル著
でした。
とても難解ですが、ご興味のある方は
ご覧ください。

ちなみに彼は、7か国語を自由に操り
古典語3種類もできるらしいです(笑)
頭のCPUが違いますね。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました