自己紹介(その1)

その他

■はじめに

はじめまして株式会社APクリエイション代表の
花田和政と申します。

このメルマガでは、
あなたが経済的にも精神的にも
幸せな人生を生きるための
ヒントを書いていけたらと思っています。
よろしくお願いいたします。

最初に、まだ私のことをよく知らないという方に向けて、
自己紹介をさせていただきます。

そして、それに付随して、私が何を考え、
何を思いながら生きているのか、
そんな私の価値観や世界観もあなたに
共有したいと思います。
少しでも私のことを知って頂けたら嬉しく思います。

私は、ビジネスコーチとして、

・独立や副業を目指すサラリーマン
・成績を上げたい営業マン
・ステップアップしたい起業家
・さらに成長したい中小企業経営者

などに対し、
才能や強みを引き出し、
マーケティングやお金の配管工事などをすることによって、
起業や事業成長をサポートさせていただいています。

私は、公認会計士・税理士の資格を持っており、
大手監査法人に12年間勤め、役員の手前まで行きましたが、
自分らしい生き方に悩んだ末に退職した経験があります。

なぜ、私がそのような道を進んだのかお話できればと思います。

■私が大手企業のキャリアを捨てた理由

私は、大学卒業後、公認会計士として大手監査法人に入社しました。
そこで上場企業の会計監査や上場支援を通して
会計・財務のみならず、ビジネスや管理の仕組みを学びました。

入社から7年目にニューヨークへ最年少の海外駐在員として選抜され、
約4年間にわたり日系大手銀行や商社の現地法人の
監査マネージャーを務めました。

「海外で活躍する会計士なんてかっこいい!」
という憧れがあり、それが実現しました。

私は小さい頃から、父親に「お前は頭が悪い」
「要領が悪い」などと叱られていたので、
努力して父親よりも出世して見返してやろう
と思っていました。
そのままいけば順調にクリアできそうでした。

私は、意気揚々と自分は人生の成功者だと思っていました。

ある日、駐在員でアメリカに赴任したが、
アメリカに定住するため現地採用となった方と話す機会がありました。
現地採用になれば、給料や待遇は激減します。
でもその方はとても幸せそうでした。

私のそれまでの価値観ではありえないことでした。
でも周りを見渡すと、当時からアメリカでは、転職は当たり前で、
自分らしいキャリアや生き方をすることが普通でした。

私は大企業のはしごを登ることだけに一生懸命で、
全てを仕事に捧げていて周りが何も見えていなかったのです。

実際の自分はというと。。。

過度のストレスで、毎日起きると寝汗でビッショリでした。
腹も下し、体調は最悪。

生後3か月の息子と妻を一緒に連れて行ったのですが、
異国の地で家族をケアすることもなく、家庭崩壊寸前。
いつ帰国されてもおかしくありませんでした。

仕事も想像していたようなカッコ良いものではなく、
やりがいのない書類作りに追われ、毎晩、深夜帰り。

米国人ばかりのチームの中では、英語力のハンデから
馴染めず、友人もできず孤独でした。

想像力していた理想と現実のギャップに苦しみ、
そもそも自分が何を望んでいたのか分からなくなりました。

自分にとって幸せな人生とは?
仕事とは?
家族とは?

実は親の価値観や世間の価値観に従って生きてきただけじゃないか?
このまま死んだら後悔するんじゃないか?
価値観が崩れ、精神的に落ち込みました。

そこから哲学、心理学、精神世界や自己啓発の本を読み漁りました。
カウンセラーやセラピーを受け、セミナーもたくさん行きました。

業界外の人とも交流し、
実は日本でも、好きな仕事をして、自由な時間があり、
かつ自分の何倍も収入がある方がいるということに
衝撃を受けました。

当時の私は自分の好きなことさえもわかりませんでした。
どんなときに楽しいのか、悲しいのか、幸せなのか。
感情が枯渇し、マシーンになった自分がそこにいました。

苦悩のまま帰国し、社内で部署移動するも続かず、
監査法人を退職しました。
人生をリスタートするために北海道へ移住しました。

(その2に続く)

タイトルとURLをコピーしました